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アスペルガーはある程度重度の方が幸せなのか2

アスペルガーはある程度重度の方が幸せなのか
に沢山のコメント有難うございます。
コメントの中に、重度のアスペルガー傾向の方は
「他者に迷惑かけていることに気づかない」という趣旨のものが
いくつかありましたので、
その点について取り上げてみたいと思います。

重度のアスペルガーが
「他者に迷惑かけていることを気づいていない」
とは自分は思っていません。

何故なら、前記事の後者の方、人間ドッグが話題になった時、
「自分は体よりも脳ドッグに興味がある」と発言していました。
また、別のそれなりに重度のアスペルガー傾向の方(未診断)から
「自分のどこが悪いのかと悩み、徹底的に検査したけれど異常がなかった」
という話も聞いたことがあります。

重度であれば重度なりに、軽度であれば軽度なりに、
周囲との違和感に苦しみ、悩んでいると感じています。

ただ、軽度と重度とでは、
周囲がその人に対して違和感を感じるかという点が決定的に違う気がします。
重度で違和感を感じた場合、周囲は諦めてくれるようです。
目が見えない人に本を読めとは求めないように。

アスペルガー当事者にとって
そのように周囲が諦めてくれるほうが幸せなのか、
周囲に期待されて潰れるほうが幸せなのか、
まだ自分には判断つかないところです。
Commented by ぬぼ at 2010-12-22 01:41 x
アスペルガーであろうとなかろうと、潰されてしまった人が幸せであるとは言えないでしょう。当人にとっても周囲にとっても。
ある人が与えられた「克服すべき壁」があったとき、その壁がどうにかでも乗り越えられるものであればその人にとっての成長に繋がるのでしょうけど、どうしても乗り越えられないものであったときには逆に潰れてしまいます。
アスペルガーの症状の重いか軽いかが問題なのではなく、それぞれの場面で向かっている壁がその人にとって克服可能かどうかが問題なのだと思います。

周囲の期待と自らの幸福とは基本的に別の座標軸の話です。
両方を高く目指すのはそれはそれでいいのですが、まず自分にとってよい道を進むべきです。無理を通して不幸を抱え込んでも、周囲にとって望ましい状況とは言い難いのではないでしょうか。

何というか、ぬるま湯のような環境で過ごすのがいいとは思いませんが、他人から見ればぬるま湯でも、当人にとってはぎりぎりの針のむしろ状態ということもありえます。

できる範囲でやっていったらいいのではないでしょうか。
Commented by ゆみりん at 2010-12-22 01:50 x
軽度であれ、重度であれ、私は「アスペルガーと診断がついた人」が、一番幸せなんじゃないかなと思います。

軽度・・・周囲からは定型と同じように振舞うことを期待されるのでそれが負担になる。ただ軽度であるがゆえに本人が感じる「周囲との違和感」は少ない。

重度・・・周囲はあまり期待せず諦めているため、負担は少ないが、本人は「周囲との違和感」を強く感じていて、それがつらい

診断がついて原因がはっきりすれば対策も立てやすいですし、周りからの支援も得やすい。なので、未診断よりは診断済みの人のほうが幸せなのではと私は思います。

ただ本人があまり自覚しておらず、周囲が手を焼いている、みたいなのが現状では多いのでは。
Commented by junseok at 2010-12-22 07:27 x
こんにちは。
幸せか不幸せかは本人が決めるんじゃないかと思います。
しかもそれは流動的なもので「発達障害と診断されてよかった」と思っても何かがきっかけでそれが足かせになりますし、その逆もあります。
それに軽重度両方ともありえるんじゃないでしょうか。
完全未診断ですが親の仕事仲間で非情に多動で自分本位な人がいます。僕のいる施設の発達障害当事者の誰よりも多動です。社員時代はそれゆえに苦労したこともあるそうですが、独立したら業績はなかなか好調でやってるそうです。そういう事もありえるんだなと感じます。
Commented by BO at 2010-12-22 21:11 x
とうふさんこんばんは。

期待される事で得られるチャンスもあるのでは。
期待されない事、それは哀しい事かもしれない。

「われわれは自分に備わっているものをほとんど思うことなく、いつも 欠けているものについて考える」
Commented by るー at 2010-12-22 21:34 x
「自分も他人も嫌いにならずに元気に頑張れる自分であること」
が、アスペルガーに限らず人間が幸せになるための条件なのじゃないでしょうかね。


1.自分が嫌な事を何一つ求めない環境を手に入れる。
2.自分ができないことを何一つしなくてよい環境を手に入れる。
3.嫌な事やできないことがあっても自分も他人も嫌いにならない自分になる。
4.何があってもとにかく元気で頑張る自分になる。

このどれかを完全に実現できればほかの条件を何も努力しなくてもその人は潰れず「幸福」でいられるんでしょう。
でも、現実的にはどれも無理ですよね。

期待されることはうれしいけれど、応えられなえればできない自分にへこむし、応えられない期待をした人を恨んでもしまう。
でもまったく期待されない人にもなりたくない。

その中で自分が幸せでいられる割合を探していくのがいいんじゃないかと思います。
自分にとっては他人を嫌いにならないことが一番難しいです。
Commented by taka at 2010-12-22 22:29 x
初めまして。
知人からの指摘により色々調べてみたところ、自分が重度のASじゃないかと言う事が分かり、今度心療に行ってみようかと思っています。
こちらのブログはその調べる過程で発見し、過去の記事も色々読ませて頂き、大変参考にさせて頂きました。


さて、本題ですが、重度の方が幸せなのか?と言う事ですが、私はそうでは無いと思います。
私は過去、人間関係のもつれから2度程潰れた事があります。実は人間関係がもつれていたと言う事も、自分がASではないかと聞き、色々調べた事から気が付いたのですが・・・。
そして今、かなり体調を崩しており、3度目も間近のような状況です。


何故そこまでなってしまったのか。
原因は恐らく私の選んだ道にあるのですが、自分が好きで興味を持ってしまった業種と言うのが、専門技術者が中心となってコミュニティの核を築く役割を担う仕事なのです。


続く
Commented by taka at 2010-12-22 22:29 x
続き

今まで人間関係が上手く行って無かったなど、考えた事もありませんでした。それぐらい回りの事が理解できていなかったのです。
今勤める会社では、技術も知識も十分に認めてもらっているし、自分でもその部分には自信があります。そしてこの職のプロフェッショナルの頂点を目指していました。
しかし、自分には重度のAS傾向があること、そしてそれを知れば知るほどに今自分が目指しているものに辿り着けない可能性が高いと言う現実を知り、これからどうすればいいか分からなくて、混乱して、何もかも投げ出してしまいたい衝動に駆られるほど狂おしい思いをしています。

ですので、ASの傾向がある人にとって重軽度よりも先に、自分が生きようと選択した道が合っているかどうかと言った所の方が重要ではないかと感じています。

こういった意見もあると、参考にして頂けたら幸いです。
Commented by CVR at 2010-12-23 13:15 x
いつもブログを読ませていただいています。
ある時、本屋でアスペルガーの本を見つけて読んでみると、自分もそうかもしれないという思いが強くなってきました。
ウツで通院しているメンタルクリニックの先生は「アスペではない」と言ってくれるのですが、不安は消えません。
ここで書くのは筋違いかもしれませんが、アスペかどうか認定してもらうには専門の病院に行った方が良いのでしょうか?東京近郊でお奨めのところがあれば教えていただきたく。
Commented by マルマル at 2010-12-24 11:27 x
どんな病気や障害においても、重度であれば「見るからに理解出来る」という他者、周囲から適切な認識と対応があります。
しかし軽度であれば、自分でも気づかないし他者からも気づかれにくいので「誤解」が生じます。
この誤解が、当事者も周囲も苦しみの根源だと思います。
重度の人は、自ら説明したり訴えたりしなくても周囲が勝手に理解してくれますが、軽度の人は当事者側からの説明や訴えが無くては、周囲もやりようがありません。
軽度の人から「実は自分は○○なのです」と、症状や診断名などを告げられたとき、身近にいる人は「なぜもっと早く教えてくれなかったのか」と、それまでの誤解ゆえの混乱、勘違いゆえの偏見などを、大きな疲労感とともに悔いることはあると思います。
当事者の方からの説明や相談で、その人自身の環境を改善することは可能であろうと思う場面は多々あります。
重度は他者任せでも良い。
しかし軽度は、その人自身の説明や相談の努力で幸せの感じ方が大いに違ってくると思います。
Commented by 通りすがり at 2010-12-24 16:21 x
あきらめてくれる・・・・いい言葉見つけましたね。
良し悪しは別としても、あきらめる=見捨てると同じように思えるのは私だけでしょうか。
Commented by オオシマ at 2010-12-27 23:00 x
こんばんは。

期待されて潰れされた方です。
周囲が諦めてくれた方が幸せに思えます。
出来ない事や苦手な事をどうにかしろと言われるのは苦痛でしかありません。
今は適切なサポートを得て働いておりますので、
自分の身の丈にあった仕事で無理をせずにすみますね。
Commented by こかげ at 2010-12-28 08:29 x
私と友人はどちらも片耳が聴こえません。いい方の耳では普通に聴こえるのですが、悪い方の側から話しかけられると「え?」と聞き返すことが多くなり、会話についていけません。
私は小学生の頃からずっと、会話相手に早い段階で「右耳が聴こえないんだ」と告げて、聴こえやすい席を選ばせてもらっています。そのため、「会話についていけない」など難聴による疎外感はあまり感じてきませんでした。一方、私の友人は、片耳難聴であることを周囲にあまり告げなかったため、疎外感などのつらい思いを私よりはるかに多く経験してきたと言っています。

障害の程度が同じ位でも、周囲に配慮してもらっているか否かによって、その人の不自由さが変わります。ASについても、重度か軽度かということではなく、周囲の人が適切な配慮をしてくれるかで生きやすさ・幸せかどうかが変わるように思います。ASということは周囲に言いたくないのであれば、「私はこういうことが苦手なので助けてもらえませんか」という言い方で助けを求めるという方法もあります。周囲の人がその人の特性を理解すれば、適切な配慮を受けられるて、お互いの関係もだんだんと良くなっていくと思います。
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by abcde354 | 2010-12-22 00:15 | ひとり言 | Comments(12)

成人アスペルガー症候群当事者とうふ(2006年確定診断済)が綴る、アスペルガー的社会人生活。


by abcde354