アスペルガー社会人のBlog

中高で最も辛かったのは、自信が打ち砕かれたこと

対人関係的な苦労はしなかった中高時代だが、
自信が打ち砕かれたという意味ではかなり辛い日々だった。

小学校は近くの公立だったが、勉強は何もしなくても出来た。
ADHD的なミスが多く100点を取ることは少なかったが、
90点、95点は取って当然の点数だった。
勉強というものは努力しなくても出来るものという自信が出来ていた。

しかし、中高では80点取れれば良しとしなければいけなかった。
成績的にも学年の真ん中であれば良しだった。
好きな音楽も、楽器一つ位弾けるのは当たり前の嗜みだった。
自分と同等に出来る人間は山ほどいるのだと思い知った。

勉強が出来るという自信が打ち砕かれた時、自分には何も残っていなかった。
委員会活動や部活動でも自分の強みを見出すことは出来なかった。
何をやっても人並み以下な自分に、自己評価はどん底まで落ちた。

大学受験時に浪人せず合格した私大へ入学したのも、
浪人すれば東大に合格できるという自己評価を持てなかったからだった。
自分の強みを見出せない状態は今でも続いている。
自己アピールしろとか長所を言えとか言われると、完全に行き詰ってしまう。
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by abcde354 | 2014-06-27 23:09 | 自己分析 | Trackback | Comments(8)
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Commented by ROMから一言 at 2014-06-29 11:26 x
ちょっと主旨からズレちゃって恐縮ですが、ケアレスミスが多くて満点が取れない=ADHD的、という解釈は短絡じゃないかなぁと感じました。

ブログ主さんの場合は、
・余計な部分まで精細に見え過ぎるため、却って見落としが多い
・視覚刺激の“メモリ容量”を低減出来ず、短期記憶が容量オーバーしやすい
と言った視覚過敏が原因で、“見直す”という行動自体が苦手なんじゃ?と拝察してます。

現象は似ているように見えても、ADHD当事者さんのケアレスミスとは本質的に発生機序が異なると、私は考えてますがいかがでしょう?


それから今のブログ主さんなら、中高生だった過去のブログ主さんの“過剰適応”の原因が何処に在るか、お判りになりますよね?

『勉強というものは努力しなくても出来るもの』ですか?
今でも御自身が『何をやっても人並み以下』だと思ってますか?
『東大に合格できる』事が、唯一絶対の評価基準だと思ってますか?

仮に、中高生だった自分へメッセージを送れるとしたら、当時の『誤学習』を修正するアドバイスを、どんな風に書いて上げたいですか?
Commented by マルマル at 2014-06-29 20:25 x
とうふさんは「自己アピールしろとか長所を言えとか言われると、完全に行き詰ってしまう」ことの原因を「自信が無いから」だと考えられているようですが、これは「客観視できるかどうか」の問題だと思います。
つまり、ASの人がとても苦手としている部分であろうと思います。

自信喪失して「自分は全く駄目だ」と感じているときでも、定型は必要とあらば「自分の長所、短所」をふかん視して分析的に言おうとしますし、まぁ・・表現出来る人が大多数だと思います。
自己紹介も含め「人物像を語る」ということが、出来そうで出来ないのがASの人の多くの特質で、自分も含め人への興味関心を努めて持つことが「自分を見て自分を表現出来る」ことの第一歩だと思うのです。

Commented by ROMからもう一言(その1) at 2014-06-30 17:15 x
ちょうど『発達障害当事者研究』を読み始めた所なんですが。併せてマルマルさんのコメントを拝読し、ピコーン! と来ました。ASD当事者であるブログ主さんが『自信』と称してきたモノは、定型多数派のソレとは全く異質なモノだったんじゃ?と思うのです。

定型多数派の『自信』は、確固たる主体性に裏打ちされた「○○できた!」という実感に、自身の行動・思考を客観的に把握した認識(いわゆる“メタ認知”)が加わった中核に、他者からの評価等が付加されて、形成されていく認知だと私は解釈してます。

ところが、ASD当事者さんは、感覚過敏がもたらす身体感覚の奔流に邪魔されて、まず主体性を立ち上げ難く“実感”を得難い上に、感覚刺激の“メモリ容量”を低減出来ず短期記憶が容量オーバーしやすいため、自身の行動・思考を客観的に把握する事も難しい。
Commented by ROMからもう一言(その2) at 2014-06-30 17:16 x
ゆえに、いつも自我と他我が明別しにくい状況下にあって、専ら他者を基準にした評価を頼りに『自信』(っぽいモノ)を形成する他に術が無いため、他者と比較した場合の優位性が無くなっただけで、アッサリ『自信が打ち砕かれ』『自己評価はどん底まで落ち』てしまう。

定型多数派は、たとえ一時的に自信を失っても、確固たる主体性+メタ認知=自我が中核になっているので「今回は失敗してしまったけど、あの時は確かに○○できたんだ」「今度は更に頑張ろう」と、他我に振り回され続ける事無く、主体性を立て直す出来るのです。

マルマルさんは『自分も含め人への興味関心を努めて持つこと』という書き方をなさってますが。私も自我と他我をそれぞれ明確に意識する事が、本物の『自信』や『自己評価』を形成するために必要不可欠だと思います。「マネジメントから逃げない」と自ら舵を切ったブログ主さんは、正にそのスタートラインに立った所なのでしょうね。
Commented at 2014-06-30 19:44 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2014-07-01 15:42 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by abcde354 at 2014-07-05 18:40
皆様、大変勉強になるコメントを有難うございます。考えがまとまったら続きを書いてみようかと思っております。
Commented at 2015-07-05 17:14 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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成人アスペルガー症候群当事者とうふ(2006年確定診断済)が綴る、アスペルガー的社会人生活。
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