アスペルガーが克服可能な苦手と困難な苦手の判別
2011年 12月 04日
最近のコメントを拝見していて、
アスペルガーには克服可能な苦手と克服困難な苦手がありそうだ、と気づいた。
そして、その判別が大変重要ではないか、と思うに至った。
例えば、自分は英語が苦手だが、
これは克服可能な苦手に分類されると考えている。
というのは、自分はアスペルガーで英語が得意な方を何人も知っているからだ。
英語が得意な方が何人もいるということは
英語の得手不得手はアスペルガーに関係ないことを示しており、
努力の仕方さえ確立出来れば克服可能なのだと考えている。
一方で、定型の感覚を理解することは、克服困難な苦手に分類されそうだ。
感覚に関する定型の方のコメントには理解困難な部分がある一方、
アスペルガーの方のコメントには共感しやすいからだ。
定型感覚の理解については、抽象化、一般化を自分自身で行うことは困難で、
自分自身で出来ることは個別具体的な事象毎に感覚を暗記することなのだろう。
アスペルガーにとって克服可能な苦手と克服困難な苦手を判別することは
大変重要なことだと考える。
何故ならば克服困難な苦手に時間を割いても、克服出来ないからだ。
克服可能な苦手に時間を集中させ、出来ることを一つづつ増やしていきたい。
アスペルガーには克服可能な苦手と克服困難な苦手がありそうだ、と気づいた。
そして、その判別が大変重要ではないか、と思うに至った。
例えば、自分は英語が苦手だが、
これは克服可能な苦手に分類されると考えている。
というのは、自分はアスペルガーで英語が得意な方を何人も知っているからだ。
英語が得意な方が何人もいるということは
英語の得手不得手はアスペルガーに関係ないことを示しており、
努力の仕方さえ確立出来れば克服可能なのだと考えている。
一方で、定型の感覚を理解することは、克服困難な苦手に分類されそうだ。
感覚に関する定型の方のコメントには理解困難な部分がある一方、
アスペルガーの方のコメントには共感しやすいからだ。
定型感覚の理解については、抽象化、一般化を自分自身で行うことは困難で、
自分自身で出来ることは個別具体的な事象毎に感覚を暗記することなのだろう。
アスペルガーにとって克服可能な苦手と克服困難な苦手を判別することは
大変重要なことだと考える。
何故ならば克服困難な苦手に時間を割いても、克服出来ないからだ。
克服可能な苦手に時間を集中させ、出来ることを一つづつ増やしていきたい。
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junseok
at 2011-12-05 21:45
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こんにちは。
僕も長年外国語を学んできました。海外にも住んでいましたし、国内外でかなり多くの人間と接する事が出来ました。中には「人間関係が下手」とか「空気が読めない」という人もいて、本当に「やっちゃったよ…」という事もたくさんあったんですね。それと外国語を学ぶと不思議とあるポイントがありました。母国語でない限りはコミュニケイションは難しい部分があります。よって少ない単語、ばらばらな羅列で相手の意図を読み取るのが必要になります。あれだけ「空気を読むのが下手」と言う人でも不思議と相手の意図を読み取るんですよね。よって外国語を学ぶのは相手の意図を読み取るのにかなり効果的な手段であると思います。
僕も長年外国語を学んできました。海外にも住んでいましたし、国内外でかなり多くの人間と接する事が出来ました。中には「人間関係が下手」とか「空気が読めない」という人もいて、本当に「やっちゃったよ…」という事もたくさんあったんですね。それと外国語を学ぶと不思議とあるポイントがありました。母国語でない限りはコミュニケイションは難しい部分があります。よって少ない単語、ばらばらな羅列で相手の意図を読み取るのが必要になります。あれだけ「空気を読むのが下手」と言う人でも不思議と相手の意図を読み取るんですよね。よって外国語を学ぶのは相手の意図を読み取るのにかなり効果的な手段であると思います。
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junseok
at 2011-12-05 21:59
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続きです。中国語にはある成語があって「ひとつの事を学ぶとそれに似たものが学びやすくなる」という意味です。僕はかつて中1英語さえ理解できませんでした。年単位でbe動詞や一人称~三人称が理解できませんでした。それどころか主語や動詞、名詞の分類もまったく出来なかったんですね。でも中国語が理解できるようになり、わからなかった英語の部分がわかるようになりました。一つのヒットで「出来ないだろう」という中でも出来るものが生まれる。そうした可能性はあって良いだろうと思います。
こんばんは。ブログを運営しているASのものです。
「ASでも他人はできているから~」という考え方はちょっと不自然では?
たとえば、私のブログのコメントでもいただいたのですが、
私自身は体育は苦手ですが、人によっては得意な方が居たりします。
しかも、私は中学校は運動部にいましたがだめでした。
これは苦手科目を克服することは、厳しいと思っています。
たまにブログ見てます;^^
応援しています。それでは。
「ASでも他人はできているから~」という考え方はちょっと不自然では?
たとえば、私のブログのコメントでもいただいたのですが、
私自身は体育は苦手ですが、人によっては得意な方が居たりします。
しかも、私は中学校は運動部にいましたがだめでした。
これは苦手科目を克服することは、厳しいと思っています。
たまにブログ見てます;^^
応援しています。それでは。
いつも有益なブログエントリーありがとうございます。
私も「克服可能な苦手と克服困難な苦手を判別すること」はとても大切と考えています。
私も定型感覚を知ったエピソードを記憶しているように感じています。ただ、そのエピソードは、抽象化、一般化されているようで、似た人に対して同じような感覚があるとみなして振る舞っているようです。
そのためASの中でも抽象化、一般化を得意不得意とする人がいるように感じます。
実際に私の場合、それら能力を計測するWAIS-III下位検査項目結果(各19点満点)も、単語=18,類似=17,理解=19と優位を示していました。
おそらくASはスペクトラム性の障害のため、他の人ができても自分はできないという事が多くあるように思います。WAISの結果等を専門家と相談しながら分析し、
自分自身の得手不得手を客観的に掴んでいくとよいのかもしれません。
私も「克服可能な苦手と克服困難な苦手を判別すること」はとても大切と考えています。
私も定型感覚を知ったエピソードを記憶しているように感じています。ただ、そのエピソードは、抽象化、一般化されているようで、似た人に対して同じような感覚があるとみなして振る舞っているようです。
そのためASの中でも抽象化、一般化を得意不得意とする人がいるように感じます。
実際に私の場合、それら能力を計測するWAIS-III下位検査項目結果(各19点満点)も、単語=18,類似=17,理解=19と優位を示していました。
おそらくASはスペクトラム性の障害のため、他の人ができても自分はできないという事が多くあるように思います。WAISの結果等を専門家と相談しながら分析し、
自分自身の得手不得手を客観的に掴んでいくとよいのかもしれません。
by abcde354
| 2011-12-04 22:19
| ひとり言
|
Comments(4)